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EU4建州女真(Jianzhou)AAR 〜ᡩᠠᡳ᠌ᠴᡳᠩ ᡤᡠᡵᡠᠨ(大清国)〜 第4回

前回↓

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前回のあらすじ

ソロン・ニヴフを倒して女真族の名を満州(Manchu)族と改めた充善。威光は天下に響き渡り、大国への道を歩みだしていた。

 

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なお画像は使い回し。

1451〜1456 袂別

先の戦では、東海 (Donghai)と互いに共通の敵を攻撃する形でありながらも、それは友軍とはいえないものだった。

東海の進軍は明らかにこちらの利益を損なう形の介入であり、周囲の国が次々満洲に飲み込まれていくことへの危機感から少しでも勢力拡大を目論んだものだったのかもしれない。

 

しかし、これらの行動は満洲族の敵意を煽ることとなった。満洲が脅かされている状況ならまだしも、今や急速に強大化した満洲は単独で超大国明にも対抗しうるだけの力があり、安全保障の観点からは東海程度の小国と提携する必要性も薄れていた。

また「満洲族の保護下におくべき民」が満洲の地域には住んでいるとされ、東海の勢力圏は全域がその地域に含まれていた。

 

充善は東海との同盟解消をソロン・ニヴフ戦中に決断し、戦後すぐに通達を行った。

 

東海としても覚悟を決めていたところだとは思われるが、5年後に満洲が東海に攻め込んだとき、東海軍は無防備で他国との同盟も結んでいなかったため戦いは一方的な蹂躙となった。こうして同盟国だった東海もまた満洲に併合されたのだった。

 

この頃には戦時中に敵領での物資徴発程度ならば行われたものの、平時の破壊行為などは禁じられた。

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満州のコアを持っている相手のため再征服CBが使える。満州エリアの敵は一見大きくても総開発度の低い敵が多く一発併合しまくることができた。

  

〈戦に次ぐ戦で、豊富だった人的資源にもやや陰りが見えてきていました。明の補助金もここら辺のタイミングで打ち切られて財政に再び余裕がなくなります。東海を次のターゲットに決めていましたが、同盟を切った後の停戦期間がちょうどあったためしばらく矛を収めることになりました。この間に軍資金を貯めておき、人的も大分回復させることができました。ミッション達成条件の一つである寺院も建て始めています。

 

暇な約5年間を過ごした後に開戦し、すぐ東海軍を轢き潰して消化試合状態です。東海の属国ニヴフ(Nivkh)に至っては一兵もいませんでした。

なお海の方は相手も結構強力で今回もLight Shipを港に戻し忘れて損害を被っています。全く成長していない⋯!

 

この間外交官は暇の極みなので朝鮮に請求権いくつも作ったりしていました。そんなことするくらいなら反乱支援とかしたかったんですがカネにそこまでの余裕はないし支援するにふさわしい反乱軍がいませんでした。

 

東海を倒して国の形が大分まとまりのいい感じになってきましたが、まだ明を倒すには国力が足りません。さらなる拡大が必要です。〉 

 

1456〜1459 高原の覇者を決する戦い

国内で「満洲に属するべき」とされた土地は他にも明やモンゴルが持っていた。しかし超大国明とはまだまだ敵対することはできない。

 

モンゴルは元々宗主国オイラト(Oirat)と対等に勢力を争う関係でありいまだにそれだけの力を持っていたので、現状のオイラトの属国である状況に指導者層は密かに不満を持っていた。

強力なオイラトを切り崩すために、満洲がモンゴルのオイラトからの独立を支援する話がまとまりかけたが、先述の土地を巡ってモンゴルから譲歩を引き出せず、交渉は決裂した。

 

ここまでは東海との戦いを挟んでの話であり、その戦いが終わってからすぐに充善はモンゴルへと兵を向けた。

モンゴルを当然その宗主国オイラトは保護するべく参戦したが、オイラトは更に同盟関係にあったホルチン (Korchin)と サリク・ユグル族(Sarig Yogir)を援軍として呼んだため、総兵力では満洲軍が劣勢となった。

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(人的資源が余りそうでもったいなかったので)満州軍の兵力も大分増員されているがそれでも連合軍相手にはさすがに、ほぼ互角が精一杯。

まずは先に、地理的に近いホルチンを制圧する。全土を占領されたホルチンは満洲からの要求を全面的に飲まざるを得ず、明沿いの領土を満洲に割譲することを条件に単独講和した。

 

モンゴル領内に入っても新手の敵軍は一向に姿を見せなかったが、満洲軍はいつ敵が現れてもいいように備えながら占領行動を開始した。

モンゴルの東半分を占領し西半分の占領に移ろうかという頃、ついに敵軍が現れた。

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しかし、現れた敵は満洲軍と比べれば少数のモンゴル軍だけだったので、満洲軍は前方の一部部隊で攻撃を仕掛けるが、敵もさるものでその機動力を生かし巧みに逃げ回る。

 

このまま撹乱され続けるわけにはいかないと、ドルゴンは一計を案じ、あえて兵を分散させてわずかな部隊と共にモンゴル軍の前に出た。

好機とばかりに攻撃を仕掛けてくる敵軍をドルゴン直属の精鋭部隊が受け止めている間に、伝令の知らせを受けて周辺の満洲軍が次々と集結、戦闘に参加してくる。最終的には逆包囲するような形で優勢に転じた満洲軍は見事モンゴル軍を敗走させた。

 

しかし、やはり敵軍の逃亡速度に追撃が追いつかず、勝利を決定的なものとすることができない。似たような競り合いが何度も繰り返されたが、そのうちに後方の部隊は着々とモンゴル領を占領していった。

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広い。

モンゴル領の占領が完了したのでオイラト領に入りしばらく占領を続けた後、やっとオイラト軍が現れた。

すでにモンゴル軍は脅威にならない程度の戦力しかなく会戦では毎回勝ちながらも、敵軍は勢力の空白地帯を通って迂回し満洲領を直接攻撃するなどして満洲軍を悩ませた。

しかし、充善の用兵により徐々に敵軍は追い詰められ、各所で敵の殲滅に成功したとの報が入り始める。

 

この期に及んでもユグル族は姿を見せない。使いをやってこの彼らにとって無意味なものとなった戦争から離脱してくれるよう説得を試みてはいるものの未だ成功をみなかった。

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殲滅!

敵地の住民モンゴル、オイラトの部族民たちは長引く戦争に疲弊し、生活は困窮していた。長が率いていった軍隊は不甲斐なく満洲軍に蹴散らされ雲散霧消してしまっている。

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オイラト・モンゴル軍ほぼ殲滅完了。サリク・ユグルの兵がわずかに残るのみとなった。

彼らの怒りは、その元凶というべき侵略戦争を発動した満洲軍ではなく、むしろ自分たちの指導者層に向けられ、戈矛を手にとって3万もの反乱軍がオイラト領内で蜂起した。

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反乱軍は満洲軍にとっても味方ではなく、彼らは遭遇した全てを破壊する危険な集団と化していたので充善はこれとの交戦を避けるよう命じた。 

 

またこの頃、ユグル族は同盟国の戦争に付き合っている今がチャンスと思われたのか強大な隣国に宣戦され、こちらは同盟国のオイラト・モンゴルに参戦拒否されてしまい国土が蹂躙されていた。もっともオイラト・モンゴルはしばらく軍の再編が不可能であるから参戦してもほぼ意味はなかったであろうが。

 

その後、破れかぶれとなったかユグル族の軍が突如現れオイラト占領中の満洲軍に突撃してきたが、あっさり撃退される。ほどなくしてサリク・ユグルは満洲の白紙和平提案を呑むとの知らせがもたらされた。

 

さて、戦の勝ちは既に揺るがない状況となり残すはオイラト首都の陥落を待つのみとなっていたそのとき…

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後継者の年齢を考えると割といいタイミングで亡くなってくれた気もする。

愛新覚羅充善、陣中にて没す。享年40、と称されたが本当のところは分からない。その後半生の殆どを戦場で過ごし 、女真族、つまり満洲を飛躍に導いた生涯だった。

 

跡を継いだのは嫡男の愛新覚羅妥羅(Tolo Aisin Gioro)で、まだ20歳を過ぎたばかりの青年君主である。

彼は父に勝るとも劣らない器の持ち主とみられていたが少々奢侈に走るきらいがあり、彼の贅沢は国庫を圧迫した。

 

彼が満洲の指導者としての立場を受け継いで最初の仕事は言わずもがなこの戦争を終わらせることである。なお、彼は父のように戦場で自ら指揮を取ることはしなかった。これは満洲が原始的な体制である遊牧民の部族社会から中世的な君主制国家へ歩みだしてきている表れかもしれない。

 

とはいえこの戦争の帰趨はすでに定まっており、更にモンゴルでも同じような反乱が勃発していた。

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 オイラトの首都が陥落して全土を占領されたオイラト・モンゴルは、遂に降伏して和平交渉の席に着かされた。広大な領土が要求されたが、全土併合でなかったのは満洲側の寛大さというものだろう。

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割譲させた土地のうちコアは僅かながら、再征服CBなのでちょっとAEが抑えられた。

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西へと突っ切るように領土を獲得して、満洲は新たに遊牧民国家のチャガタイ(Chagatai)やその属国のヤルカンド(Yarkand)と領域を接した。

父の覇業を継いでさらなる国力増大を目論む妥羅はこれらの国々にも目を向けた⋯
 

 

〈モンゴルも満州のコアを持っていたため矛先を向けました。満州になってコアが増えたのはいいのですが、他国に領有されている自国のコアがあると毎年威信が減ってしまいます。

しかし、モンゴルに宣戦すると宗主国オイラトとその同盟国までも出張ってくるので厳しいと感じていました。共同で攻めてくれる国もありません。

 

そこでまずモンゴルに独立支援を行い、オイラトを弱体化させようとしたのですが、開始からずっと「満州オイラトに届かない(?)」という大きなマイナス要素がかかっていて受けてくれませんでした。おそらく満州オイラトから遠すぎるということかな⋯?

字面からは満州オイラトに接しないといけないかのように見えましたが、モンゴルに仕掛ける少し前に独立支援を受けてくれるようになりました。もちろんオイラト満州の西にあるモンゴルの更に西なのでこの時点でも直接接してはいません。

 

独立支援によりモンゴルのLiberty Desireが100%になったのはいいのですがこのまま待っていてもいつになったら独立戦争を起こすか分からないことに気づきました。

あるいは何十年もこのまま経過して貴重な時間を無駄遣いしてしまうかもしれません。

考え直して戦力を台帳から見て計算してみると、同盟国合わせた総兵力はほぼ互角だったので、いつも通り一国ずつ潰していけば勝ち目はあるんじゃないか?と考え、賭けになること承知でモンゴルに宣戦しました。

 

果たして、独立支援が関係したのか分かりませんが、敵軍は見事にバラバラだったので戦闘自体で危ない場面はほぼありませんでした。ただ未入植地帯に逃げ出されて追いかけっこになったのはかなり閉口しました。

 

長い戦争と占領で敵に戦争疲弊がたまり反乱軍を湧かすことができたのでこれで戦後も弱体化を見込めるかなと思います。軍が壊滅したオイラト・モンゴルには 鎮圧は困難でしょう。

 

サリク・ユグルについてですが、これは「黄色いウイグル」の意で中国の少数民族として現在もいるそうです。

オイラトでも遠いのに、更に明かチャガタイハン国を越えていかないと彼らの国には着かないのですが流石にそこまで遠征する気はなく、他の国を倒したら白紙講和できるとほぼ無視していましたが、なかなか講和に応じてくれず困りました。便乗してきた国に感謝。

 

途中でおそらく指揮官にしていたためだと思いますが君主の充善が死去、父に外交能力を1プラスした形でほぼ同じ能力3/4/4の妥羅が跡を継ぎます。しかし特性として強欲(Greedy)を持っているため税収が1割減るのは結構痛かったです。年齢はうろ覚えでちゃんとした記録がないので大体です。

 

オイラトとの講話では戦勝点100点ぴったりで満州コアを含む領土を細長く割譲させました。特に西に行きたいという訳でもないですが、同盟するにせよ攻めるにせよ多くの国と接しておいた方が取れる選択肢が増えて得だろうとなんとなく思ったのです。敵の領土を分断することで統治しにくくさせるという目的もありました。〉 

 

1回間違えてウインド閉じちゃったせいか書いた文章が半分くらいごっそり消えて辛かったです。。。今回は行間を前より空けてみました。

日本語と英語の用語が混在しているので分からない用語があったらこちらをご覧ください。

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